「ジンゴロウ」の思い出

 猫とつきあいはじめて、かれこれ30年になる。
 市川市行徳のマンションに引っ越してまだもないある日、2階の我が家のドアーの前に、一匹の子猫が現れたのが始まりだ。
腹をすかしているのか、それとも、親が恋しいのか、ミーミー泣いていた。
 どこかの飼い猫であったのは間違いないが、生後一ヶ月あまりのかよわい子猫だった。餌をねだってか擦りよってくる。家人と相談して、とりあえず部屋の中へ入れ、鯵の干物をまぶしたご飯を食べさせる。満腹になるとすぐに居眠り。目が覚めても、ここを自分の居場所ときめてか、母猫のところへ帰ろうとする気配はみられない。  結局、我が家に同居することになる。

 からだ全体がほぼ真っ白で、頭と尾に黒のぶちが少しあった。なんとなく、日光東照宮の「左甚五郎のねむり猫」 を思い出して、雌猫の名前としては相応しくないとは思ったが、「ジンゴロウ」 と名づけた。

 このマンションは、ペットお断りである。今では、ペットを飼えるマンションも増えたらしいが、当時はどこもペット飼育禁止だった。「ジンゴロウ」 が、我が家に来てから一年近くが過ぎ、「ジンゴロウ」 も成長して、「婿探し」 をするようになった。これではもう、隠し通せなくなったたため、「ジンゴロウ」が安心して暮らせるような一戸建ての家を探すことになった。共稼ぎのわれわれにとって、マンション住まいは、なにかと具合が良かったし、戸建の家を持てる身分ではないと、つねづね考えていたのに、「ジンゴロウ」 のためならと、一大決心をした。

 少ない予算で気に入った家を探さなければならないわけで、随分苦労し、遠方まで家探しに出かけた。神奈川県の西の方、丹沢の近くや、埼玉県の北の方、秩父に近いところまで、新聞広告などを頼りに随分遠くまで探した挙句、マンションのある市川市の隣、浦安市に三井不動産の分譲住宅募集があることを知った。人気があるのか競争率のとても高そうな抽せん制だった。仕事上のお付き合いのある人を通じて、裏からも手をまわしたが、うまい具合にはいかなかった。抽選にはずれてはと親兄弟の名まで使って何口も申し込んでおいたのがさいわいした。なにしろ、一日も早く、「ジンゴロウ 」 の新居を探さないことには、いつ追い出されるかもわからないとあせった。幸いに、そのうちの一口が当たった。心積もりよりかなり高い50坪あまりの敷地の家だった。われわれの所得からして、月賦の支払いはきつい額だった。月々の支払いに不安が残ったが、そこに決めた。手続きが完了すると、すぐに引っ越した。まだ、「東京ディズニーランド」 が開園する前のことである。

 狭いながらも、2階建ての家で、引っ越して間なしのころは、階段を上り下りするのがうれしそうで、よく「かくれんぼ遊び」 をせがまれた。それこそ、「猫の額」 ほどの狭い庭だったが、庭いじりなどしていると、いつもそばで遊んでいた。ときには、草むしりをする手にじゃれついてきて甘えた。
 そのうち、狭い庭に飽き足らなくなり、外に出歩くようになった。やがて身ごもり、5匹の子猫の母親になった。うち、4匹の子猫は、自治会の掲示板のおかげで、新しい飼い主を見つけることが出来た。あとの一匹は、手放すのが惜しいのと、「ジンゴロウ」 のためにも、家に残すことにした。チャコール・グレー系の灰トラで背中にひらがなの「う」 の字型の模様があり、「ウノジ」 と名づけた。「鰻や」 の暖簾にでもありそうな書体の「う」 で、「鰻や」 が見たら、是非譲ってほしいといわれそうな子猫だった。

 幸いなことに、この頃から、われわれの所得は、倍増ともいえるほどに豊かになった。生活にもゆとりが出来て、家人の母親を引き取り、「ヨーロッパへオペラでも見に行くか」 なんてことまで言えるようになった。

 子猫を里親に出して半月ほどたったある日、末っ子の「オカッパ」 が、「夜泣きがはげしくて、手におえない」 と返されてきた。「オカッパ」 も家で飼うことになった。全身ほとんど黒で顔の部分だけが白く、「オカッパ」 と名付けた。末っ子のためか、生まれてきたときから発育不良で、目もパッチリ開かず、無理やり開いてやったりした。随分無茶なことをしたものだと後になって反省した。
 子猫というのは、同じ兄弟の中でも、発育のいいのと悪いのでは、随分、その差が大きく、「オカッパ」も生まれたばかりのときは、まともに育たないのではないかと心配になるほどだった。それでも、その後は順調に大きくなった。

 何ヶ月かが過ぎたある日の夕方、「ウノジ」 が見当たらなくなった。次の日、一日中、家人と一緒に、大声で名を呼びながら探しまわったが見つからなかった。夕方になって、ご近所さんから、昨日道路脇にあった猫の死体をかわいそうだからと庭に埋めたと聞きつけ、埋めた場所へ懐中電灯をもって走った。掘り起こして段ボールに入れられた死骸を確認すると、不安が的中した。「ウノジ」 だった。なぜかまだ身体は硬直してなく、つい先ほどまで、生きていたかのようだった。まだ息をしているうちに埋めたのではないかと疑った。背骨が折れているようだった。車にはねられたにちがいない。家に連れ帰り、涙を流しながら葬式のまね事をした。

 その翌日、我が家から300mほどのところにある、市の「中央公園」 のウバメガシの木の下に、好物だった鯵の干物と一緒に埋葬した。春風に線香の煙がたなびいた。小高くなったその一角からは、 数百メートル先の我が家が望めた。

 さらに、それから、2年ほどして、我が家から家人が消えた。
このことについては、また、いつか「思い出」 を書くことになるかもしれない。
 そのうち、家人の母親も義弟に引き取られていき、ひとりと犬1匹(家人の母親が置き去りにしていった犬)、猫2匹の生活が始まった。
 留守中も出歩けるように、台所のドアーに穴を開けてやった。
 ひとり寝に猫2匹が添い寝してくれた。猫がいるから帰って来れた。

 そのうち、タイへ行ったり来たりするようになった。留守中は、近所のおばさんに猫の世話をお願いした。10日も家をあけることもあった。猫というのは、随分と神経質な動物らしく、慣れない人に世話されるのはつらいらしい。長く家をあけて戻ると、喜ぶどころか、しばらくは、ご機嫌が悪かった。あるときなど、キッチンのシンクに、臭い物を山ほど積み上げてあった。気が重かった。猫なんて飼うんじゃなかったと後悔した事もたびたびあった。

 飼い主が留守がちで、ストレスがたまったせいか、ほどなく二匹とも重症の感染症に罹った。駅前のペット・クリニックに入院させたが、獣医の見立てどおり、「ジンゴロウ」 だけは助からなかった。火葬場で火葬してもらい、小さな小さな骨壷に入った「ジンゴロウ」 を、「中央公園」 の「ウノジ」 のすぐそばに埋葬した。

 新しい家人が来た。でも、日本の生活に適応できずに、1年足らずで、タイへ引っ越すことになって、家を処分することになった。
 世の中、そろそろ「バブル景気」 がはじまりかけていた時期で、さいわい思いのほかの高値で買い手が見つかった。分割払いの残金を清算したあとも、かなりの額が手元に残った。こんな大金を手にするのは、生まれてはじめてである。それもこれも「ジンゴロウ」のお蔭としか言いようがない。天国の「ジンゴロウ」 に感謝感謝。それ以来「招き猫」 って、本当にあるものなんだろうなと思うようになった。

 タイへの引越しは、当然のこととして、「オカッパ 」も同行することになった。「オカッパ 」には、避妊手術の後遺症の尿路結石の持病があって、今度発病したら手術することになっていた。遠くへの転居が心配なこともあり、予防注射をかねてかかりつけの獣医のところへ相談にいった。暖かいところで暮らせば、いまより健康になるかもしれないとのことだった。引越しのドサクサで、檻に入れられ、あちこち引き回され、ホテルにも何泊かした。飛行機の中は、今とちがって、貨物室の中だった。「オカッパ」 にとっては、大変な苦痛だったに違いない。

 この「オカッパ」 も、タイへ来て3年目に尿路結石がもとで死んだ。5歳になっていなかった。尿が出ないため、膀胱が膨れ上がってしまい、一度は、尿道にストローを差し込んで、吸い出してやろうと思ったが、出血が怖くて実行しなかった。
 発病がわかったのが、金曜の夜で月曜まで持たなかった。当時は、ペット・クリニックなどというものはなく、チェンライ市内にある県の「畜産課」が運営している診療所しかなかった。獣医は役人で、土日は休みだった。いまだったら、ペット・クリニックもあちこちにあり、助かったのにと思うと残念で仕方がない。運命かもしれないと勝手に納得はしたものの、タイへ連れてきたことを少々後悔した。
 庭の隅に、大理石の墓標のついた墓を作った。墓碑銘は、自分で実物大の下書きを書いた。恥ずかしいことだが、タイ語の部分には、何ヶ所も間違いがあって、今見ると冷や汗が出てくる。
 北タイでは、人間さまでさえ墓などは作らないのがふつうである。田舎なら、一軒家が建つほどの金をかけ、かなり肩身の狭い思いをしながらも、墓を作ってよかったと思う。今では、そのまわりが、我が家の犬猫の終焉の地になっている。

 あの日、「ジンゴロウ 」が我が家にやってこなかったら、今、タイの田舎でこんな平穏な生活は出来なかったと思うと、「ジンゴロウ」 とのことが、次から次へと思い出されてくる。今もこりもせず、何匹も犬猫を飼っているのも、そのせいかもしれない。
 2004年2月現在、犬が9匹、猫が11匹生活している。


  (追記:2007年2月)
 現在、犬が19匹、猫が21匹になった。
 墓参りの代わりに、「 Google-Earth 」 で、「ジンゴロウ」 と「ウノジ」 を埋めた、
 浦安の中央公園のあたりをながめることがある。


写真集 「 わが家の猫たち 」 をご覧ください。