「野菜」とは


  わが家族は、山歩きが好きである。山といっても、里山を散策するのが好きということで、高い山に登るわけではない。あたりの野山は、「野菜」やキノコの宝庫なのである。
  「野菜」のことをタイ語で「パック」という。 10年ほど前までは、このあたりでは、「野菜」を畑で栽培することはほとんどなかった。本格的に「野菜」を畑で作るようになったのは、換金作物として「野菜」類が栽培されるようになってからである。それまでの「野菜」のほとんどが、野生または、半野生のものと決まっていた。半野生という意味は、家のまわりの空き地や庭などに、蒔いたり植えたりはするものの、後は収穫するまで一切面倒を見ないという意味である。これを称して、ある人が「縄文式農業」といった。的を得ていると思う。
  われわれは、「野菜」という言葉の中に「野」の字があることを、ほとんど意識しないで「やさい」として理解している。常に八百屋かスーパーマーケットで売っている「やさい」しか念頭にない。いや、今では、「八百屋」という言葉すら半ば死語になってしまったのかもしれない。
  広辞苑にも「野菜」の項に「・・・副食用にする草本作物の総称。」と書いてある。ちなみに、「山菜」の項を見ると「山に自生する野菜。」となっている。わかったようでわからない説明である。おそらく想像するに、「野菜」に「野」の字がついているということは、「野菜」はもっぱら「野」にあったものと思われる。「野」にあるものが「野菜」でなくなり、畑で「栽培」され出荷されるものだけが「野菜」になり、「野」にあるものには、「山菜」なる新しい呼び名がつけられてしまった。
  現在でも、このあたりの食卓にのる「野菜(パック)」の半分以上は、純野生か半野生の植物である。野生のものは、農薬や化学肥料のことを心配しないでいいばかりか、「医食同源」にかなった薬効のあるものが多い。
  こんな「野菜」の享受は、日本にいては、全く不可能なことで、大変贅沢なことだと思えるが、この辺りの人たちにとっては、普通のことで、あえて意識している人などいない。でも、その有難さがわかる時代が来なければいいがと思うが、もうほんのそこまで来ているような気がして仕方がない。そのうちタイの田舎でも「山菜」という単語が使われるようになるのかもしれない。