タイの挨拶ことば - 「サワッディー」 タイとちょっとでもかかわりを持った人ならば、タイの挨拶ことば、「サワッディー( สวัสดี )」を知らない人はいないと思われる。 ラオスや北タイの一部などでは、「サバイディー?( สบายดี )」という、よく似た挨拶ことばがあるが、「ご機嫌いかがですか?」と言った意味で、逐語訳すれば「サバーイ( สบาย )」は、「楽だ」、「ディー( ดี )」は、「good」の意味になり、「サワッディー( สวัสดี )」とは、そもそもの言葉の成り立ちがまったく違う。 『タイ日辞典(冨田竹次郎著・養徳社刊)』によると、2474年(1931年)、チュラ大のプラヤーウパキットシラパサーン文学部教授が、自分が出演していたラジオ番組の中で、タイ語には、「おやすみなさい」という「挨拶ことば」がないため「Good Night」の意味で、「サワッディ」と呼びかけたのが最初だそうである。 その後、女子学生の間で、「おはよう」、「こんにちは」、「さようなら」などのシチュエーションでも使われるようになり、広まっていったものなのだそうだ。70年あまり前のことである。 学校の先生が教えるのであろうが、我が家の子供たちは、「いってまいります」、「ただいま」の意味で「サワッディー」を使う。要するに、「サワッディー」だけで、すべての挨拶をまかなってしまうようである。 タイ王立学士院辞典編纂会議が追認する形で、辞典に取り入れたのが、仏暦2493年(1950年)のことだそうだ。 わずか半世紀前のことである。 北タイの田舎でも使われるようになったのは、初等教育に取り入れられるようになった10年くらい前からのことである。 そのような「サワッディ」であるが、挨拶ことばとして、タイ人同士で使っているのを耳にすることは、子供たち以外、まずない。 よそ者に対しては、この「サワッディ」が「挨拶」として使われるが、北タイではにあっては、まだまだ、なじんでいない急造の「挨拶ことば」であるようである。 ただ、都会の若者たちの間で、「サワッディ( สวัสดี )」を、はしょった「ワッディー( วัสดี )」や「ディー( ดี )」が、「チャオ!」や「オッス!」のように使われているようで、やがて定着した挨拶ことばになっていくのかもしれない。 タイの社会に、「挨拶」の習慣がないというわけではない。 少し格式ばった挨拶というのは、「ワイ(合掌)」である。役人、教師など、「敬意を表すべき人物」と出会った場合は、必ず「ワイ」の挨拶をかわす。よく見る光景である。 この場合、言葉を発しないで、相手の顔色をうかがいながら、時に上目使いで両手を顔の前で合わせて「合掌」する。常に格下の者から先に合掌するのが礼儀である。女性の場合、右膝を軽く折り曲げると同時に、ピョコンと頭を下げながら「合掌」するのが、最高のエチケットのようである。幼い子供に、こんな挨拶をされると、おじさんとしてはちょっとばかり感激させられる。 親しい者同士が、久しぶりに出会ったときなどには、近寄って、相手の手を両手で握りしめながら、「元気か?」と声をかける挨拶が行われる。時にこれが、軽い抱擁になることもある。心からうちとけた関係にならないと、こんな挨拶をされることはないかもしれない。 ふたたび、「サワッディー」に戻るが、この言葉は、サンスクリット語の「サワディ( สวัสดิ )」がヒント(ほとんど、そのまんま)になって出来たもので、原義は、『善・美・繁栄・平安・幸運』などいった、吉祥を意味する語だそうである。 「サワッディー」を「挨拶ことば」にしようと思いついた「教授」の頭の中には、前記した「サバイディー」のほか、2000年以上昔から、「吉祥喜旋」といって、仏教のロゴとして使われてきた「卍」を意味する「サワッティカ」などという言葉も念頭にあったにちがいない。 庶民の挨拶ことば 「食事すんだ?(「キン・カオ・ラー?」→「キンレーオ」)」 「おかずはなに?(「キン・カオ・カップ・ニャン?」→「〜」)」 「どこ行くの?(「チャ・パイ・ナイ?」→「チャ・パイ〜」)」 「どこへ行ってきたの?(「パイ・ナイ・マー?」→「パイ〜マ」)」 などといった言葉が、TPOに応じて使われるのが、「庶民の挨拶ことば」である。 慣れないうちは、ついまじめに、答えてしまいそうになるが、挨拶ことばであるから、適当に、答えておけばいいので、あれこれ、グダグダと返事していたのでは、挨拶にならない。 中国でも、「ご飯食べたか?」というのが「挨拶ことば」だったことを、幼いころの思い出として記憶している。 北タイの片田舎で、「サワッディー」などいう挨拶をするのは、当事者が外国人か、さもなくば、よほどのバカか、なにか魂胆のある者しかいない。 見かけも中身も、半ばタイ人になってしまった小生に、「サワディ」などと挨拶する輩には、ちょっとばかり身構えてしまうことが多い。挨拶は、TPOの配慮が肝要である。 北タイの田舎では、永の別れになるかもしれない相手に対する、「別れの挨拶」として、「ショーク・ディー・ノー」とか「ショーク・ライライ・ノー」などが使われる。 ともに「幸運を祈る」といった意味である。 中には「スー・ブリー・ノー(タバコ吸いなよネー)」などと言われて、「えっ?」とビックリしたことがあるが、これも同じような意味で使われているにちがいない。 ここまで書いてきて、そもそも「挨拶」する行為とは一体何なのだろうかと考えさせられてしまう。 社会のなかでの人間関係を、スムーズにするための処世術なのだろうが、毎日のように出会っている近所の人たちなど、その必要のない人間の間では、挨拶などかわされることはない。「笑顔」をかわすだけで十分な「挨拶」である。 なかには、この「笑顔」が見られないものがいたりするが、多分、「腹に一物」 あるに違いない。要留意である。好意的ではないということか、ただ単に無愛想ということか。 |