米の収穫

--- 自給米の取入れ作業 ---




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     刈り取り前の稲

  このあたりで、常食にされるのは、「もち米 (糯)」で、「うるち米(粳)」は、出荷用にしか栽培されません。

 タイの平地の米は、「うるち」も「もち」も、全て「長粒種」で、日本のような「短粒種」は栽培されてません。

 例外的に、在留日本人向けに「こしひかり」とか「ササニシキ」といった日本米を作る農家もありますが、全体から見ると、微々たるものに過ぎません。

 温帯で進化してきた短粒種は、日照時間や気温の関係で、反当り収量は、タイの米にはかなわないようです。



  このあたりは、比較的水の便が良いため、換金野菜が主作で、ずっと、米は作られてませんでしたが、この1,2年、米価の値上がりで、自家用として、米が作付けされるようになりました。

 ほとんどが雨期作で、乾期には、野菜つくりに専念します。
 その野菜つくりに不可欠な「稲わら」も、自給できるのも、野菜つくり農家にとっては魅力のひとつです。また、野菜と「イネ科」植物との輪作効果も期待できます。

  この米は、「無農薬」「無肥料」です。農薬なしでも元気に育ちました。
 長い間、米の作付けをしなかったことも丈夫に育った原因かもしれませんが、米作に農薬を使う農家がないところを見ると、この品種は病気に強いのかもしれません。無肥料でも、前作までの野菜作りで、「鶏糞」がずっと使われてきて、土中には充分な肥料があリますタイの雨期作の米は、肥料分が多すぎると、草丈だけが伸びてしまい、収穫は減少してしまいます。苗のときにも、充分「痛めつけて」植えないと、米を作ってるのか、稲藁を作ってるのかわからなくなってしまいます。

  雨期作の稲は、11月から12月末にかけて収穫されます。刈り取り前の稲田は黄金色に染まり、眺めているだけでも、豊かな気分になるものです。

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     天日干し

  刈り取りは、人力で、柄の短い「三日月」型の鎌で行います。
米作専業農家など、栽培面積の大きい農家は、今では、ほとんど、「コンバイン」で収穫しますが、これだと、稲わらは、細かく寸断されてしまい、あとの利用が全く出来ません。灰にして土に返すしかないのです。

  刈り取られた稲は、1週間ほど、天日で乾燥されます。
 この時期、雨はほとんど降らず、強い陽射しでカラカラに乾きます。
 万一、大雨に当たると、悲劇です。米は発芽作用を始めてしまい、食用にはならなくなってしまうからです。


 ずっと昔のことですが、日本もまだ米不足の時代、「外米」がたくさん輸入されていた時代、「黄変米」騒動がありましたが乾燥状態のよくない米や、雨に当たった米に、輸送途中で「かび菌」が繁殖したものだったようです。

  刈り取った後を、ご覧いただくとわかると思いますが、稲が「畝(うね)」に植えてあるのに気づかれたと思います。
 野菜を植えつけたあとに、そのまま田植えをしているのです。「代掻き」はしてません。さすがに、タイでも変則的なことなのですが、稲作のあと、また野菜を植えつけなければならず、畝おこしがとてもたいへんな作業のため、若干の収量減は覚悟の上で、そのまま、田植えをしたのです。
 川が氾濫して、稲が冠水してもこれだと、水の引くのも早く、いい面もあることはあるのですが、まあ、いい加減なタイ人だから出来ることなのかも知れません

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     総出で脱穀作業

  近所の人にもお願いして、総勢9人がかりで、収穫作業をしています。
 今のように「野菜つくり」が盛んでなかった頃には、田植え、稲刈り、収穫作業などには、20人以上で行うのが普通でしたが、「野菜つくり」というのは、毎日やらなければならない作業があり、最近は、人手が集まらなくなりました。一日あたり、120バーツほどの賃金を支払って、お願いすることもありますが、たいていは、お互いの作業のお手伝いです。いわゆる「結い」というものです。

 我が家では、4人の男手のうち、3人までが手伝いません。
 義父(高齢で、もっぱら「篭つくり)、小生、義姉の夫(近場の建設現場に出稼ぎ中)。実に効率の悪い家族です。

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     稲打ち(脱穀)


  脱穀は、写真のように稲束をブルーシートの上に打ちつけて行います。


 ブルーシートがなかった時代には、直径が3m近く、高さが1mちかい大きな大きな笊(ざる)の中に、同じように稲束を打ちつけて行いました、数年前からは、めったに見られなくなりました。

 我が家の「笊」は、10年ほど前に、小作の人に貸したままになっていますが、多分もう壊れてしまって使えなくなっているものと思われます。




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左の写真は、チェンライ市内にある「山岳民族博物館(PDA)」で撮影したものです。

 「乾期作」の場合は、収穫時期が雨期に入ることが多いためか、大きな笊(ざる)が使われることは、滅多にないようですが・・・。
  タイ長粒種の稲の穂は、「脱粒性」がとてもよく、稲束を、4〜5回打ち付けるだけで、脱穀できてしまいます。それだけに、脱穀前の稲束の持ち運びには気をつけなければなりません。乱暴に扱うと「籾(もみ)」は、みんな脱落してしまいます。

 ずっと以前、こちらに来てまもないころ、「日本米」を作付けしたことがあるのですが、日本米の脱穀にはたいへん苦労しました。

 はじめのうちは、稲束を棒などでたたいたり、いろいろ試したのですが、「籾」は穂先にしつこくしがみついていて、なかなか離れようとしません。結局、あちこち、探し回ってやっと、足ふみ式の脱穀機を見つけて、脱穀しましたが、この足ふみが、慣れていないため重労働で、日本米の評判を落としたことがありました。

 稲束を打ち下ろす作業は、息抜きをしながら出来るのですが、「足ふみ係り」は休む暇がありません。

  効率的にも、「足踏み式」1台と、「稲打ち式」一人分と、ほとんど変わらないため、タイ米の収穫に「足ふみ式」が使われることは全くありません。

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     稲打ちの道具

  稲藁を束にして、強く打ちつけるために、こんな道具が、使われています。

 2本の取っ手の棒の先に、鎖とか自転車のチェーンが取り付けられていて、この部分に適当な量の稲をはさんで、棒の部分をクルッとひねると、大きく振り下ろしても、稲はバラバラになりません。

 日本でも、大昔「砧(きぬた)」などという道具が使われていたようですが・・・。

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     風選のうちわ

  風がないときには、竹製のこのような「うちわ」を使って、風選します。一人が木製のスコップで籾を掬い上げて、空高く放り上げると、まわりにいる何人かが、この「うちわ」で扇(あお)ぐわけです。なんとも、のどかなことではありませんか。

  わらくずや実の入っていない籾殻をより分けるためです。

 日本には、昔「唐箕(とうみ)」というものがありましたが、タイでは、見かけません。日本では、いまや、「脱穀機」とか「籾摺り機」なんてものも、使われなくなってしまったんでしょうね。最新式のコンバインでは、刈り取るそばからげんまいが流れ出てくるんだと思います。


  日本では、種籾として次の年の種まき用にとっておくほかは、玄米で保存されるようですが、こちらでは、籾の状態で保存されます。精米時に籾摺りも同時に行います。
 したがって、タイで食べる「ご飯」の中に籾が混ざっていることもたびたびです。調整のよくない田舎の旧式精米機で精米した米では、よくあることです。

  それにしても、この「うちわ」、年季が入ってますね。数十年は使われているのでは。

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     木製のスコップ

  これまた、たいへんな年季もののようです。弥生時代の遺跡から発掘されたものを、博物館から持ち出してきたのでは、といった代物です。

  この日は、わずかですが、風もあり、「うちわ」は使用しませんでした。

 少々の藁くずなどは、精米の障害にはなりませんから、大丈夫です。

  これで、いっちょうあがりです。あとは、袋に詰めるだけ。

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     落穂

  タイの稲は、とても「脱粒」しやすく、田のあちこちに、このように籾がこぼれています。

 収穫の最後に、穂の状態で落ちているものは、拾って歩きますが、粒になってしまったものは拾いきれませんので、そのままです。

 野鳥やねずみの餌になることでしょうが、それでも、残ったものは、次の野菜つくりの際に、「雑草」として、芽を出してきます。

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     稲の切り株(イナギ)

  稲を刈った後の、切り株は、子供のころ、わが田舎(遠州)では、「イナギ」といってました。多分、方言なのでしょう。
 耳掻きのオバケのような道具で、「イナギ切り」なんてさせられたことを思い出しました。この写真でも、もう刈り後の株から、新しい目がふき出しているように、次の作付けの邪魔にならないように、「イナギ切り」で、根こそぎ殺してしまうためです。

  数えてみましたら、成熟した穂が出たらしい稲は、一株平均で20本ほどでした。ちなみに、一本の穂についている籾の数は、200〜300粒ありました。日本米に比べると、大分多いようです。一株あたりにすると、5,000粒もの米が取れたということになります。

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     洪水の爪あと

  「寒期」に入り、雨の降らなくなった現在でも、近所の田は、数町歩にわたって、このような見るも無残な姿になっていました。メカム川の氾濫の爪あとです。

 これでも農家の人たちは、あまり大騒ぎはしないようです。騒いだところで、早急に事態が改善されることなんてないことを知っているからです。

  川の氾濫は、「人災」で、灌漑用水用の堰の設計ミスや、土手の工事のズサンなのが原因なのですが、役人の中に、灌漑土木工事や、治水土木のエキスパートがいないようです。「技術知識」だけで良いから、日本のODAなどで、援助してやれたら良いのになと思ったりしています。

  メカム川のあちこちに流入土砂管理のずさんな堰が出来、土手は川底にたまった砂を積み上げただけの代物で、大雨が、2〜3回降ると、決壊してしまいます。我が家の前のメカム川も、堰が出来る前とくらべると、2m以上の砂が堆積してしまい、このままでいくと、やがて「天井川」になり、大雨のたびにあちこち氾濫してしまうことでしょう。
 余談ですが、メカム川の洪水で、大事に育てていた「マンゴスチン」の木が、流されてしまいました。