北タイの米つくり (雨期作編)


はじめに

   「乾期作(ナー・パン)」に続いて、「雨期作(ナー・ピー)」の米つくりを
  おってみることにいたします。


以下の資料もご参照ください。

 「米の収獲作業

 「北タイの米つくり(乾期作編)

 北タイで主に作付けされている品種については、ここ に掲載しました。

 「(イネ)」に関する学術的な解説を、 『図鑑』 より転載しました。
                        詳しくは、ここ をクリックしてご覧ください。


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タイの米つくり概要 (雨期作編)

 雨期作(ナー・ピー)の苗代

 雨期作の苗代は、5月末ころから、6月半ばにかけて作られる。
 苗作りの作業は、「乾期作」も「雨期作」も基本的には変わらないが、雨が多く水を心配しないでも作ることが出来る。
 極端なケースとしては、天水だけをあてにして、「畑」に籾をまいて苗作りをすることも出来ないことはない。

 山の傾斜面などに「陸稲」を作付けする場合など、先のとがった木の棒の先で穴を開けていき、籾を数粒蒔くだけなどという乱暴とも思える耕作をすることさえある。実に原始的であるが、これで、あとは収穫時期まで、なんの管理もしない。

 通常の、苗作り

 前作の「乾期作」の収穫後、時を置かずして、田は、耕起しておく。
 そのうちの一部を、苗代として使う。
 畝幅は、適当らしく、今回は1m前後の狭い畝だった。

種籾は、

近所の農家から譲ってもらった、「RD6号(コー・コー6)」という長粒のもち米種。「RD6号(コー・コー6)」は、雨期作の品種としては、きわめて人気の高い品種であるが、「ニュートロン放射設備」を使って出来た突然変異種で、元親は、「うるち米」のため、長年作り続けていると、「先祖かえり」するものがあり、「うるち米」が混ざるようになるので注意しなければならない。

 種籾を採取する甫場では、出穂後しばらくしてから、「先祖かえり」したと思われる稲丈の低いものを、丁寧に抜き取る必要がある。ただし、自家消費用の米に場合は、このような抜き取り作業をすることもない。

 種籾は、2日間、川の水につけておき、陸にあげて日陰に置き、さらに2日ほどしてから、発芽の様子を見て播種する。直接、水を張った苗代に籾を蒔くより、野鳥やねずみによる食害を防止する意味もあるようである。
 この間に苗代の整備をするのが普通である。

 播種後、2,3日もすると緑色の芽が伸び始め、様子を見ながら、1週間後くらいに、「尿素肥料」の施肥をおこなう。このころには、すでに10cm程度にまで成長している。

 播種後、2週間あまり経過したころ、1回目の田植え(シム・カー)を行うが、その、数日前に2回目の施肥を実施する。これは、移植後の活着を促進し、分蘖(ぶんけつ)などの生育を促すもので、「N、P、K 15−15−15」 の化学肥料を使う。

 
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日本の田植え機を使った田植えでは、この程度にまで成長した苗が使われる





代掻きに使われる「鉄の水牛」




「農作業はバイクで」       「田の脇の休憩所」       「昼食の準備もおこたりなく」    「結束用の竹製のトーク」


雨期作(ナー・ピー)の1回目の田植え(シム・カー) (6月30日)

イネの生育状態からすると、やや早めではあるようですが、人手などの都合もあって、6月末日に、1回目の田植えを行いました。

 「田植え」のことを、北タイでは、「シム・カー」といいますが、中部タイなどで「ダム・ナー」といっているのと同じ意味だそうです。「シム」というのは、辞書にも出てない言葉ですが、「カー」というのは、標準語の「クラー(木や草の株・苗)」を、北タイ式に発音したものです。
 「ダム・ナー」の「ダム」というのは、「黒い」という形容詞とまったく同じ綴りですが、クメール語の「田植え」を意味する言葉からの借用語だそうです。古クメール文化の影響が垣間見えてきます。ちなみに、「ナー」というのは「田んぼ」のことです。

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 朝早くから、大勢の人たちが、集まって、まず、「苗とり」をします。苗は、30cm前後で、標準よりはやや小さめですが、活着をよくするために、先端の10cmほどを切り捨てます。50cm程度に育っている場合は、半分ほどに切りつめます。

 昼前に、おおかた「苗とり」が終わったところで、すぐ隣りの、田植え用の田に植え始めます。

 1株あたり20本前後の苗を、15cm間隔くらいに密植します。
 ほぼ、1ヶ月後くらいに、本番の田植えをするための「苗作り」です。この作業は、日本では、まったく見たことも聞いたこともない作業で、初めての時には、熱帯特有の「稲作技術」かなと感心したものです。

 このあたりでも、「雨期作」に限り行われることで、「乾期作」では、日本と同じように、1回しか田植えはしません。
 気温も高く、水にも恵まれる「雨期作」用の品種は、生育期間が長く(170日前後)、出穂までの生育を抑制する意味もあるのかもしれません。



 最終的に1町歩ほど用の、1回目の田植えですが、数えてみましたら、総勢27人で、予想よりずっと早く終わってしまい、「田植え」の光景の写真は、またまた、逃してしまいました。




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雨期作(ナー・ピー)の2回目の田植え (7月30日)

 1回目の田植えから、ちょうど1ヶ月たち、2回目の田植えの時期がやってきました。今日と明日、2日かけて、約1町歩の田植えです。

 苗代に籾を蒔いてから43日目、稲は、すでに草丈70cm近くに成長しており、2回目の田植えに際しも、先端が切り落とされて、半分ほどの長さになってしまいます。

 今回も、1回目の田植えと同じく、30人ほどの人手をかけて作業をしますが、苗を田毎に配るのは力仕事で、男性の仕事です。

 昔の日本の田舎の田植え風景には、代掻きの済んだ田に、「規準の紐」を張って田植えをしたものですが、田植えが済めば、稲刈りまで機械を使用することもなく、その必要がないので、規準の紐などは使用しません。

 また、植えたあとから、稲を踏みつけることがないように、後ずさりしながら植えたものですが、こちらでは前向きに植えて生きます。滅多に、踏みつけることもないようです。

 進行方向、40cm前後、横方向30cm前後で、一株あたりは、3〜5本、植えていきます。

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 30人がかりの田植えで、植え始めると、30分ほどで、1ライ(1.6反)植え終わり、天候に恵まれれば、明日、午前中までには終わりそうですが、午後から雨になりそうな空模様で、明日一杯かかるかもしれません。

 左手を腰に当てて立っている白シャツの男性は、「ルン・ラット」です。
2ヶ月足らず後の9月下旬に、肝障害の後遺症で吐血して亡くなりました。
 おそらく、これが生前最後の写真だと思われます。 (合掌)




雨期作(ナー・ピー)の田植え後の管理など (10月25日)

 義弟は、野菜の仲買の仕事の片手間ということもあって、3回目の施肥が必要だったにもかかわらず、施肥できませんでした。本田での施肥は、全くしていないということで、稲は、かなり飢餓状態になっておりました。

 そんなわけで、田植え後の管理も、たまに、水をみるくらいのもので、ほとんどなにもしておりません。
 ほぼ同じ時期に植えた、周辺の田は、まだ蒼々としていて、わずかに穂が出始めたところですが、すでにほとんどの穂は出揃い、開花が始まっております。
 おそらく収量はかなり少ないのではないかと思われます。
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10月25日 (播種後、137日) 出穂も、ほぼ終わりました。


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米の花です。


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11月14日 (播種後、157日) 黄金色の穂が、垂れ下がり始めました。

 肥料を十分施してある近所の稲は、まだ、青々としておりました。
肥料不足からか、葉先が白く枯れる「葉枯れ病(?)」にも冒されているようで、収量は期待できそうにもありません。
 それでも、もう間もなく稲刈りということになります。



雨期作(ナー・ピー)の収穫作業

 この品種、「コー・コー6号」の標準生育期間は、165日ということになっているようですが、167日目に刈り取ることになりました。ほぼ、標準どおりということになります。

 このシーズン、米どころのあちこちで稲刈りが重なり、人手不足が心配されたのですが、1週間あまり前から手配をしていたため、予想以上に人手が確保できました。

 総勢・34名、一日がかりのつもりが、午前中で終わってしまいました。
 普通は、近所の家の手伝い(「ムー」といいます。「結い」のことです。)など含めても、10人前後の作業なのですが、チャムトーンの隣り部落に住んでいる「シャン族(タイ・ヤイ)」にもお願いして、こんな大勢になってしまいました。
 お願いした人に支払う日当は、150バーツ(500円弱)。去年と比べると1,2割上がっているようです。

 稲刈りは、刈り取っていく方向に、長い竹竿を使って、稲を倒してから刈り取ります。近所の田などでは、うまい具合に自然の力で倒れかかっているところもありましたが、1回分施肥をサボッた我が田では、ほとんど立ったままなので、倒す手間もかかりました。

 刈り取りは、地面から30cm前後と、だいぶ高めに刈りますが、切り株(イナギ)の上に、刈り取った稲を「地干し」することもあってのことのようです。
 「稲藁」が必要なため「手刈り」するわけで、根元の近くから刈り取りたいところですが、仕方のないことです。


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11月24日 待望の稲刈り

 このあと、2週間ほど「地干し」したあと、「ティー・カーオ(稲打ち)」といって、人力による「脱穀」ということになります。



kome2-13.jpg11月30日 脱穀作業の準備とわら干し


 「地干し」した1週間後に、束にしながら、「いなむら」のかたちに積み上げます。穂の部分は、乾燥しすぎると、いっそう脱粒しやすくなって、あとの作業でこぼれてしまうため、内側にして積み上げておきます。このあとさらに1週間、藁干しをします。




雨期作(ナー・ピー)の脱穀と収納

 12月6日。
 今回もまた、肩透かしを食ってしまいました。
 「ティー・カオ(稲打ち、つまり、手作業での脱穀作業のことですが)は、6日ということはしばらく前から予定していたことで、忘れていたわけではありませんが、当日の朝起きると、「もう終わってるころだよ」というではありませんか。「えっ?」と、怪訝な顔をして、かみさんにたずねたところ、真夜中の3時ころから、作業を始めて、日が昇るころには、終わる予定なんだとか。

 そういえば、昨夜が満月、真夜中に月は、上天にあって、たいへん明るいのです。肉体労働をするには、深夜の冷気は好都合ということで、真夜中の「ティー・カオ」ということになったのだそうです。

 そのようなわけで、下の写真は、お隣りさんの「ティー・カオ」のようすを撮ったものです。
写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、刈払い機の刃の部分を扇風機の羽根に取り替えて、人工風を起こして、「風撰」しています。タイ人というのは、このように何でもやる人たちです。木製の伝統のスコップを使って、もみを救い上げていますが、右端の「相撲の行事さん」のような人は、これまた、伝統の「団扇(うちわ)」を使っています。

 我が家の収穫作業については、去年の収穫作業 でも、ご覧になってください。


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 こうして風撰された「もみ」は、袋に詰めて収納場所に運んで、「精米」まで積み上げて起きます。天候不順の年などには、持ち帰った「もみ」は、天日で十分に乾燥させることもありますが、50日間、全く雨のなかった今年は、このまま袋から出さずに積み上げておいても全く問題ないようです。
 我が家の米の出来は、いまいちでしたが、全般的には、今年の作柄は、天候に恵まれ、近年まれに見る良い出来だったようです。やはり、米は、稔りの時期の天候が、収穫に大きく影響するようでした。
 ちなみに、我が家の壮収穫量は、450タン(斗)ほど。もみ重量にして、4トン少々といったところです。反当りに換算すると、400kgを少し下回ります。
 これを「精米」すると、その2分の1以下になってしまいます。日本の米作りと比べると、3分の1程度ではないでしょうか。
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 播種の準備を始めてから半年におよぶ、長い「雨期作の米つくり」もやっと終わりました。

 「田植え」時から、手伝いに来てくれた人の中には、収穫時の「米」をあてにしている人もいるようで、そのような人には、作業1日当り、3タンの「もみ」を日当の代わりに差し上げます。「精米」すれば、通常の米つくりの日当の半分ほどにしかならないと思いますが、昔から代々伝えられてきた慣習です。我が家のあたりには、まだまだ、古きよき時代のタイが残っているようで、感動させられます。
 今日も真夜中から、20人あまりの人が作業をしてくれました。感謝感激。
北タイは、ほんとうに良いところです。



日本の田植え

 そもそも、北タイの米つくりのレポートを書いてみてはとお勧めいただいた、広島の I さんから、現代の日本の田植え風景のお写真を頂戴しました。


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 田植え機もいうには及びませんが、日本の稲作技術の「革新」には、驚嘆させられました。
 特に、感心したのは、施肥技術で、この田植え機では、田植えをしながら同時に、即効性・緩効性・遅効性の各種の肥料を、施肥するのだそうです。田植えの時期に肥料を施すだけで、あとは収穫まで、ほとんど手がかからないそうです。
 昔なら、稲の顔色を見ながら、その時々に適した施肥をしていたものですが、その必要がまったくなくなり、我々のような稲作素人にも、名人並みの米つくりが出来そうな気がしております。
 いつの日にか、北タイにも、このような農業機械が導入されるのでしょうが、そのころには田植え風景も様変わりしてしまうことでしょうね。