北タイの米つくり


はじめに

  タイは、世界有数の米の生産国で、米の輸出国としては、世界第1位である。
日本の年間消費量に匹敵する米を輸出している。WFOの2002年の統計によると、総生産量の40%を超える、730万トンあまりが輸出されている。


  タイの農家の大半は、米の単作農家で、その生活のありようも、米の国際価格の上下に大きく左右されてきた。
 30年前ころまで、ベトナム戦争の影響などもあり、国際価格は高めに推移し、米は優先的に輸出に回されたこともあって、1973年には、輸出国のタイで、「米不足」という奇怪な事態が発生したそうだ。

 そのころは、ほとんどすべての農家が、輸出用の米の生産に従事していたが、その後、国際価格は徐々に低下していき、米農家の収益は著しく低下して行った。海外への出稼ぎ労働者が急増したのもこの時期からのことである。

 おりしも、国の政策は、米作農業一辺倒から、工業化および観光事業の育成などに転換していき、それにつれて、海外資本と外国人の流入も急激に増加し、野菜類やくだものなどの消費が増加し、換金作物の栽培面積が飛躍的に増大した。米を自給しない農家も増えてきたわけである。

 当地、チェンライでも、1990年前後から、「果樹」や「にんにく」、「ネギ」などの換金作物への転換が進み、灌漑用水の便のいい農地には、それらの畑作物が作付けされるようになった。米つくりだと、1ライ(1600u)あたりの収益は、せいぜい2〜3000バーツにしかならないが、野菜作りだと、その10倍以上の収益が上げられることも珍しくはなかった。

 ところが最近、周辺諸国の政情安定にともなって、人件費の安い周辺国からの野菜などが、国境を越えて流入するようになり、近隣農家の収益は激減し、チェンライの畑作農家は大打撃を受けるようになった。

 最近になって、中近東紛争などの影響で、米の国際価格の上昇傾向にともなって、国内の米の価格も値上がりし、野菜専業農家でも自家消費用としての、米つくりを再開するものが増え始めた。

 義弟タウィはじめ近親のものたちも、潅水作業など、手間のかかる乾期の野菜作りを減らして、米を作るようになった。



 昨年、伝統的なというか、原始的な「米の収獲作業 」をご紹介したが、これを機会に、「苗代作り」から、「精米」まで、米つくりの一連の作業すべてを、まとめておくことにした。


 北タイで主に作付けされている品種については、ここ に掲載しました。

 「(イネ)」に関する学術的な解説を、 『図鑑』 より転載しました。
             詳しくは、ここ をクリックしてご覧ください。




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タイの米つくり概要

 タイで栽培される米の大部分は、「インディカ種(Indica)」で長粒種の米である。全体から見れば、極く少量ではあるが、「ジャバニカ種(Javanica)」という中粒種の米を北タイの山岳民族などが栽培している。通称「カオ・ドイ(山の米)」と呼ばれている。「カオ・ドイ」は、陸稲として栽培されることが多いようである。ほとんどは「うるち米」である。また、「山岳民族」によって、インディカ系統の「赤米」や「黒米」が少量作付けされているらしいが、詳しいことはわからない。

 また、「ジャパニカ種(Japanica)」(短粒種)の日本米も在留日本人を需要先に、1,000町歩程度の作付けがされているようである。県内に大きな日本米の精米所が2ヶ所ある。(日本米の作付け経験があり、詳しい内容については、別項を予定している。)

 北タイや東北タイ(イサーン)で主食にされるのは、「インディカ」の「もち米(カーオ・ニオウ)」である。これらの地方で栽培される「うるち米(カーオ・チャオ)」は、販売用で自家消費されることはほとんどない。年に何回かは、「うるち米(カーオ・チャオ)」を食べることがあるが、その場合は、精米された米を市場で購入してくることが多い。

 タイでの稲作は、年、3,4回の作付けが可能だとされる。実際、中部タイあたりでは、年3回、作付けされているところもあるらしい。
 北タイでは、灌漑用水の利用できるところでは、年2回作付けされるが、乾期に水の便の悪いところでは、雨期に1回だけというところも多いようである。

 稲の生育にもっとも適している雨期作を「ナー・ピー」といい、その他の季節の稲作を「ナー・パン」という。
 稲は、日照時間による影響の大きい作物で、日照時間の短い乾期作では、十分成育する前に出穂(しゅっすい)してしまい、食味や単位面積あたりの収量などハンディキャップの大きい作付けである。

 「ナー・パン(乾期作)」は、収量も少なく、硬質の米になるため食味も落ちる。
「もち米(カーオ・ニオウ)」の場合、特にその傾向が強く、「ナー・ピー(雨期作)」の米を自家消費用にすることが多い。そのような理由から、「ナー・パン(乾期作)」の作付けは、その大半が、「うるち米(カーオ・チャオ)」で、販売用にあてられる。


 30年ほど前からであろうか、アユタヤなど中部タイの大稲作地帯は、大形農業機械の導入がはじまり、今では播種・施肥・農薬散布など、軽飛行機を使用する大農場もあるようである。
 チェンライ県内にも、大形トラクターやコンバインも普及して、南西部あたりの大規模農家では、直播栽培するところも出てきた。
 それでも、わが家のあたりでは、相変わらず昔ながらの「苗代作り」、人力作業による「田植え」、「稲刈り」、「脱穀」が残っている。ちなみに、「田植え機」による田植えは、タイには見られない。



水田と耕耘

 日本では、「減反政策」などで、一度荒らした田は、元通りの水田に戻るまでに数年かかるといわれている。
 北タイでは、平地でありさえすれば、どんなところでも、すぐにでも水田にすることが出来る。重機が普及してきた現在では、大木の生えている場所でも、その気になれば、瞬く間に水田化することが可能である。

 このあたりの土質は、「ラテライト」由来の強粘土質で、土壌の下層への漏水はほとんどなく、水田に、いわゆる「床」を形成する必要はまったくない。
タイには、「田を荒らす」といった表現はない。施肥量の少ない、このあたりでは、休耕した田ほど、腐植も増えて肥沃な田になると考えられているくらいである。

 タイでは、かつては、牛(主として、水牛)の引く鋤によって、田は耕していた。30年ほど前から徐々に、「鉄の水牛」とも呼ばれたタイ式耕運機が牛にとって代わった。現在では、水牛は、イサーン(タイ東北地方)の一部などをのぞいて、肉食専用に飼育されているだけである。

 前世紀の終わりごろから、タイの経済急成長にともなって、地方の農村地帯でも、大形のトラクターやコンバインの導入が見られるようになったが、一般の中小農家には、トラクターなど購入する財力はなく、もっぱら、「賃耕」などで大形機材の所有者に、作業を依頼するという形での利用にとどまっている。2006年現在、「賃耕」の料金は、1ライ(1,600u)あたり、500バーツ前後である。

 トラクターによる「耕耘」が普及してくるにつれて、「鉄の水牛」の出番も、「代掻き」だけになってきつつある。

 「ナー・パン(乾期作)」の場合、イネの成長は遅く、「元肥」投入は効果あるものと思われるが、田植え前に「元肥」として施肥することはない。「本田」への、最初の施肥は、田植え後、イネの活着を確認した後に行われる。

 チェンライ県内の米の単作地帯での、平均的水田面積は1農家あたり、10町歩弱。灌漑用水を十分利用できる畑作転換可能な地域では、水田は1町歩以下という農家がほとんどである。



苗代作りまで

 最近の日本の農家では、稲の苗は、苗作り専業農家や「会社」から購入するのがあたりまえらしい。田植え機で田植えをするため、よく管理された場所で、育苗された苗の方が、何かと具合いいものらしい。

 乾期作(ナー・パン)の苗代

 乾期作の苗代は、1月中旬から2月に作られるのが一般的であるが、収穫時期が雨期さなかにならない限り、いつでもいいわけである。苗代は、田植えをする本田の一部に作られるのが普通である。
 幅2mほどの畝で、脇溝の深さは、せいぜい10cm程度で、乾燥を防ぐために高畝にはしない。上面は板などを使って平らにならされ、ひたひた程度に水をはっておく。いわゆる、ドロドロ状態である。施肥は一切なし。

 これにたいして、雨期作(ナー・ピー)の苗代は、水の便など、まったくお構いなしである。イネは、頻繁に降る雨だけで十分に育つ。通常の畑や、山裾の傾斜地などが苗代として利用されることすらある。

 種籾は、前年収獲した籾を使うのだが、「風撰」、「浮撰」などをすることはない。必要量を、かますに分けていれ、近くの川や用水に、48時間前後、水浸する。水を含んで、わずかに発芽しかかったころが蒔きどきで、水浸した籾と相談しながら、苗代に蒔く。蒔いた後、精米工場やレンガ工場からもらいうけてきた籾殻炭を覆土代わりにすることもあるが、大方は、蒔きっぱなしである。播種後は、「ねずみ」や「すずめ」などに喰害されないように、冠水状態にしておく。数日もすれば、根もはって、2〜3cmに育つ。乾期作の場合に限って、播種後10日目ころに、早苗の葉色を見ながら、「尿素」肥料を少量施すこともある。播種後3〜4週間が、田植えの適期になる。すでにこの時期、苗は30cmあまりに成長している。



乾期作(ナー・パン)の田植え

 田植えの時期と稲刈の時期が、もっとも、人手を要する時期で、このあたりでは現在も「結い」の共同作業にによって農作業が行われるのが普通である。20人前後が、交代でそれぞれの家の田植えを順番に行うようである。苗代が、本田と遠く離れたところに作られることは、まずないが、苗運びなどの重労働は男たちの仕事ときまっているようである。

 これに対して、米の単作地帯では、外部から人手を調達して田植えを実施するところが多くなったようである。米の単作の場合、作付けと収穫の間、暇をもてあますため、働き盛りの男手は、遠方への出稼ぎに出て行ってしまい、農繁期になっても帰郷できないものが多く、「結い」の制度は、崩壊してしまったところがほとんどである。このため、農繁期には、近隣の山岳民族をあてにする農家が多く、この時期、労働力の奪い合いになる。
 10年あまり前までは、山岳民族に対して支払われる労賃は、平地のタイ人の2分の1程度だったものが、現在では、ほとんどかわらなくなってしまった。ピックアップ・トラックなどでの送り迎えは当然のこととして、最近では、朝9時ころから、午後4時ころまでの労働に対して、昼食・夕食・酒などのサービスつきというのが、相場のようである。ちなみに、山岳民族に対して支払われる労賃は、上記サービスつきで、1日あたり100バーツ程度のようである。


 タイの「早苗とり」は、かなり無神経である。雨期作ほどではないにしても、根がむしりとられたり、早苗の根元付近が、折れたりしても、一向お構いなしである。気候が稲作に適しているため、たいしたダメージにはならないらしい。まだ幼かったころ、大昔のことであるが、早苗とりや田植えの手伝いをして、指示されたとおりに出来なくて、よく叱られたことを思い出す。

 「代掻き」は田植え前日までに済ませておき、水深10cm程度の「本田」に田植えを行う。「すじ縄」といって、植える間隔の目安となる「ツナ」などは使用しない。いったん植えてしまえば、田の中に入るのは、肥料撒きくらいのもので、きちんと整列させて植える必要はないのである。かつて日本では、田植えは、後ろ向きになって、バックしながら行ったものであるが、こちらでは、前向きで植えていく。植えた後踏みつけることがあったとしても、多少のことはお目こぼしなのであろう。

 植える間隔は、30cmくらいであるが、植え手によってさまざまで、もう少し広いこともある。一株当たりも、普通は、苗、5〜6本といったところだが、これまたさまざまである。乾期作(ナー・パン)の場合は、雨期作(ナー・ピー)に比べると、分蘖(ぶんけつ)数も少ないため、2倍程度多めに植える必要がある。

 植え方もかなり雑であるため、浮き苗になって欠損した株を補充するなどということも、滅多にない。田の隅に補充用の苗を用意してある田を見たことがないが、苗の過不足があった場合は、可能な限り譲り合いをして補充しているようである。



乾期作(ナー・パン)の田植え後の管理など

 田植え直後、十分活着するまでは、水の管理を怠れない。「代掻き」から「活着」までは、米つくり農家は、水管理にかなり神経質になっており、時たま「水争い」の起きる時期である。
 田植えシーズン前には、メカム川の下流一帯の村々から、大勢農家の人たちが出かけてきて、灌漑堰付近で盛大に「川供養」の祀りが執り行われる。彼ら総出で、灌漑堰の補修作業を行うのもこの時期である。

 水が常時流入しているような田でもない限り、「あぜ」の水漏れ箇所の補修も欠かせない。

 田植えのあと、10日目ころまでに、苗の活着を確認して、1回目の施肥を行う。施肥直前に、水田の水を、軽度の地割れが出来る程度に干し、施肥後数日経過した後、ふたたび水を入れる。肥料分が水に流されてしまわないための処置のようである。軽度の地割れが出来る程度に干してあれば、時ならぬ豪雨があったとしても、肥料分が流失してしまう心配はない。
 米つくり専用の肥料も販売されているようではあるが、ほとんど利用されてはいない。通常は、米つくりで使われる肥料は、「尿素(46-0-0)」だけである。

 2回目の施肥は、1回目の施肥のあと、30日目前後に、イネの顔色をうかがいながら実施する。このときも、「尿素」だけである。3回目以降の施肥は、よほど土地が疲弊しているところ以外では実施されることはない。施肥のし過ぎで「わら」を作る農家が笑いものになるのは、日本に限ったことではない。

 このころ、「ヒエ」、「カヤツリグサ」類の除草を、行うこともあるが、これはひどいと思われる場合以外は、除草しないことの方が多い。
 水が不足気味の田では雑草も生い茂り、除草剤を散布する農家もあるらしいが、薬害や費用の面から、除草剤は使わない農家の方が圧倒的に多いようである。


田植え後 田植え後


  上の写真は、上段、下段、それぞれ同じ場所から撮影したものです。
   ・ (左上) 田植えから7日後    1回目の施肥前、翌々日に施肥。
   ・ (左下) 田植えから15日後   1回目の施肥から、1週間後。
   ・ (右上) 田植えから35日後   2回目の施肥前、翌日に施肥。
   ・ (右下) 田植えから43日後   2回目の施肥から、1週間後。
  右の写真の上下とも、すでに1次分蘖は、5程度になっている。
     右下の田は、出穂も間近である。



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   ・ 田植えから60日前後で出穂・開花
   ・  分蘖数は、1株あたり30程度
   ・ 1穂あたりの粒数は400粒前後。


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   ・ 1穂あたりの有効粒数は150〜200粒。
   ・ 10日 〜 2週間後に、稲刈りをする予定。


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田植え後、95日目、本日、5月29日 コンバインで収穫。




新時代の収穫風景

ダンプに積まれた「籾」は、仲買の精米所へ直行
「籾」、1kgあたり5バーツ(15円)で引き取られる。


通常は、5.5バーツなのだが、奥の方の田も、すでに稲刈の時期になっていて、気兼ねもあって、やや青刈り状態で刈り取ったため、値切られて5バーツということになった。この田の稲刈が終わらないうちは、奥の方の田へコンバインを入れることが出来ない。

 1.5 ライ(2反4畝)で、籾重量にして、1700kg の収量。 反当り、約700kgで、まずまずの出来。
 粗収入、8500バーツ。
 コンバイン代 (1ライあたり、500バーツ )、肥料代 その他差し引いて、1ライあたり、4000バーツほどの利益があったことになる。

 生鮮市場の仲買の、片手間での米つくりとしては、一応合格点ということであろう。




自給用に手刈りした稲は、田の中で乾燥
その後、ブルーシートの上で脱穀され
「天日干し」 したあと、保存、消費される。




村の精米所の精米機

隣村の農家が、骨董品的小型設備で、村内の農家の自家用米の精米を請け負っている。

 回転部分など、一部を除いて、ほとんど木製の機械である。
下部のカマスには、精米のすんだ米と糠がはいっている。

 タイの豚は、ほとんど米糠だけを餌にして飼育されているため、「豚肉相場」の高いときには、米糠を引き取らなければ、精米料金は無料だったが、最近は料金を取るようになってきた。




社会編 米の収穫』 のページも、ご参照ください。 こちら をクリック。

雨期作へ続く