田舎の結婚式 

仏暦2546年(2003年)5月吉



 これから、北タイの田舎の結婚式を紹介します。

 花婿は34歳、花嫁は19歳。

 花嫁は、高卒の資格を得るため、となり村で開かれている特別学級に通っていたのですが、送り迎えをしてもらっていたことが、きっかけで、結婚することに。

 花婿は、農業をしながら、野菜の仲買人をしています。花嫁は、県の嘱託職員(獣医さんの助手)です。



1.出会い

 近所同士のお付き合いや親戚がらみで、相手を見つけることが多いようです。

 30年ほど前までは、このあたりには、「若衆宿(わかしゅうやど)」や、「夜這い」の 風習が残っていたそうです。当時の住居の床やかべは、タケを編んだもので出来ていて、両親が寝しずまったころあいを見計らって、恋人の家に出かけ、外から壁や床に木の枝など差し込んでつついて合図して、恋人を外に連れ出したそうです。今ではそんな素朴で、ほほえましい慣習もなくなってしまいました。

 最近は、学校や職場で相手を見つけることも多くなり、都会では 数年前から、結婚相談所のような男女を紹介する機関もできてきたようで、日本とあまり 変わらなくなってきたようです。



2.結納まで

 結婚の意志が固まると、それぞれが、親または 近親者に報告し、男性の側から、結婚の条件の相談に出かけます。

 花嫁は、自宅から職場に通っていたのですが、結婚の話がまとまる直前に隣の郡に転勤になり、官舎に越したため、そこが、正式な結婚申し込みの場所になりました。変なもので、花嫁側、花婿側、同じ車に乗り合わせて、30kmほど離れた、くだんの官舎に向かいました。双方合わせて、20人くらいでしたが、もともと村内どうしで、見知った顔ばかりです。

 ちょっと、余談ですが、官舎に到着して、顔ぶれを確認したところが、花嫁側の参加者に、日本では、ちょっと考えられないような人が・・・・。花嫁の実母、継父、実父とその再婚相手。まれには、妻妾同居もあるこのあたりでは、どうということはないのでしょうか・・。さすがに、花嫁と血縁でない二人は、寡黙でしたが・・・。

 しばらく世間話などした後、まわりに促されて、だいぶお酒のはいった花嫁の母親が、「4バーツ、10万で」と切り出しました。
4バーツというのは、24Kの金製品、約60グラム(約8万円分)と現金10万バーツ、約30万円。結納金のことですが、「売買婚」の名残りだと思われます。

 相場からすると高すぎるということでか、少し語気を荒げて、気まずそうに言いました。
 「うちの娘は、処女だし、高いとは思わない。それにうちは、お金が入り用だし・・・」

 母親が、貧乏しているのは、みんな知っていました。それにしても、高すぎます、普通は、田舎では「1バーツ、3〜4万」が相場ということらしいです。 

 場はしらけてしまい、長いこと沈黙が続き、結局、結論が出ず、持ち帰りということになり、後日再交渉ということになりました。
破談になってしまうのではないかと心配になりました。

 この結婚話は、ちょっとした事情もあって一ヶ月以上進展がなく、再交渉の機会はありませんでした。破談になったわけではないのですが、花婿が、花嫁の母親に直談判して「2バーツ、4万」にまけて貰らったそうです。そんなことなら、最初から、直談判で決めればよかったのにと思いましたが、これも結婚儀礼のひとつなんでしょうか。


 黄金のネックレスを首に
 話がまとまると、いよいよ次は「結納」ということになります。
暦で吉日を見つけて、花婿の家で「結納」式が行われることになりました。
 村長(プーヤイバーン)はじめ村の世話役が集まり、結納式を取り仕切ります。世話役にうながされて、花婿が結婚の申告をし、結婚式の日取りなど報告します。
 そのあと、村長から、約束を守るようにとの簡単な訓示めいた挨拶があったあり、最後に花婿の父親が、花嫁の首に、約束の2バーツの黄金のネックレスを掛けて婚約式の儀式めいたことは終了です。 あとは、「めでたし、めでたし」で、無礼講。

 この界隈は、1世紀に満たない新開の入植地で 、結婚式に限らず、儀式めいたことは、かなり簡素化されていて、昔から北タイでは、この程度のことしかしてこなかったのかというと、どうもそうではないらしいです。歴史や伝統の長いチェンマイ地方などでは、もっとずっと格式のある儀礼様式があるようですが、このあたりでは、精神だけ受け継いで、儀式はごくごくかんたんなもののようです。


ランナー・タイの花嫁衣裳





     花婿殿





 押し問答の末やっと中へ





     固めの儀式





   貴賓席のお客様





 サイシンでギリギリ巻き





    床入りの儀式
3.結婚式

 結婚式は、5月29日に、花婿の家で、行われました。
北タイの旧暦8月黒分14日(月齢下弦の14日目ということ)にあたります。
昔からのしきたりで、奇数月には、結婚式はしてはいけないことになっているらしいです。偶数月でも、「カオパンサ(入安居祭り)」期間中は、結婚式はダメらしいです。


 「カオパンサ」というのは、北タイ暦の10月(タイの旧暦では、8月。太陽暦の7月頃)の満月の翌日から1月(太陽暦の10月頃)の満月の前日までのおよそ3ヶ月間をいい、お寺の坊さんは、寺の中にじっと閉じこもって、修行に専念しなければならない期間のことで、ちょうど雨期の最中で、もろもろの行事が忌避される期間のことです。

 ちなみに、10月の満月の翌日は、「オークパンサ(出安居祭り)」といい、この日から僧侶は、寺から外へ出て、修行出来ることになり、街中には、托鉢僧の姿が、大勢見られるようになります。 「カオパンサ」の前々日は、「アサンハブチャ(初転法輪の日)」といい、釈迦が5人の信者に説法を行い、5人は仏教教団を結成し、「仏、法、僧」の三宝が成立した日とされ、国民の祝日にもなっている。家族そろって、大きなローソクを、お寺に奉納しに行きます。
 したがって、この日を過ぎると、太陽暦の、10月中旬まで、結婚式はできないということになりす。いまでも北タイでは、古い暦による吉日に、結婚式、新築祝いなどが執り行われ手いるようです。

 最近、結婚式は、都会では、ホテルの宴会場や結婚式場などで、行われることが多くなったようですが、田舎では、ふつうは新婦の家でというのが多いようです。

 事情がある場合は新郎の家ということもあるようですが・・・・。ホテルの場合は、費用も高いし、参列者が、服装等、気がねするのでいやがるようです。結婚式を家でする場合は、3日がかりです。

 式の前日に近所の若者が集まって、テント、ひな壇、ステージなど、設営をします。朝から一日がかりの仕事です。結婚式のために、家の前の道路にもテントが張られ、道路は閉鎖され、一般の車は迂回路を通らされます。

 近所のご婦人方は、料理の準備で大忙し。大きななべ釜、食器類などは、お寺の倉庫に保管してあります。牛、豚が、屠殺されます。夕方には、会場設営に参加した人たちに、振舞い酒、振る舞い料理が出され、無礼講です。もう、前日から、結婚式ムードで盛り上がり大騒ぎです。

 当日は、新郎新婦と料理の準備のご婦人方のほかは、ゆっくりです。今回の結婚式のはじまる時間は、3時59分59秒と決められました。タイの人は、99999と9が並ぶのが、縁起がいいということらしいです。バンコクあたりでは、9999の車のナンバープレートが、高値で取引されるそうです。
 早朝から新郎新婦は、美容院。新婦の化粧、着付けには、3時間近くかかります。今回は、「ランナー・タイ・スタイル」といって、昔の北タイの礼装ということらしいです。町の美容室の貸衣装です。

  いよいよ、3時過ぎ「結婚式」の始まりです。
新郎は、1キロほど離れた小生宅を、自分の家に見立てて、そこから、介添えの人たちや新郎の近親者とともに、3台の車に分乗して、「結婚行進」です。かねや太鼓のお囃しで大騒ぎしながら、会場前に到着です。爆竹が鳴らされます。花婿到着の合図です。北タイでは、なにかおめでたい行事があるごとに、かね、太鼓が登場しますが、「かねや太鼓でさがす」なんて、もしかすると、昔は日本でも、同じような光景が見られたのかも・・・・。

 式の会場前に到着しても、花婿の一行は、すぐには中に入れてもらえません。門は、銀の鎖で「厳重に」封鎖され、花嫁の介添すえ人たちが、ガードしています。
しばらく、双方の介添え人たちによる、「貢物交渉」が繰り返されます。
今では、単なる結婚式の、儀礼的な行為になってしまいましたが、昔は本気で、貢物交渉をしたのかもしれません。

 5分ほどで「交渉妥結」し、新郎新婦の、「花飾り(カンプクムー)」の交換や、貢物の献上(?)などを行って、新郎の一行は中へ入れてもらえることになります。

 新郎新婦は、はでにデコレーションされた幕のまえのひな壇に座り、「式」が始まります。
 花婿の父親から花嫁の母親に、「4万バーツ」の「結婚金」がわたされ、「アチャン」(村の長老、祈祷師)の、ご祈祷のあと、水掛け、サイシン(聖糸)結び、で儀式めいたことは、終了です。アチャンは、日本の神主さんと同じような役割を果たします。
都会などでは、結婚式にお坊さんを招待し、お坊さんに祝福してもらうところもあるようですが、このあたりでは、式の当日、早朝にお寺まいりをしてお寺で祝福してもらうため、お坊さんは、式には登場しません。

 アチャンの儀式が終わると、参列者全員が、順番にサイシンを心労新婦の合わせた手に結び、両人の首にもかけ、新郎新婦に簡単なお祝いなど言って、お祝儀を渡します。

 式の進行係は、いつものように、小学校の教頭先生「モンコン」先生です。
お名前も「吉祥」といい、おめでたい席には欠かせない先生です。授業があるときでも、ピンチヒッターをたてて、必ず出席します。おかげで教頭先生は、すっかりお酒好きになってしまって、帰りは、介添え人が必要になります。

  結婚式は、新郎新婦にとって、肉体的にも大変な苦痛です。
とにかく、出席者全員が、サイシン結びをするわけで、2時間以上かかります。その間、ひな壇でじっとしていなければならないばでかりか、サイシンは、どんどん増えて、ふたりを、ぎりぎり巻きにしてしまい、やがて、からだの自由も利かなくなります。

 サイシン結びが、滞りなく終わると、「お床入り」の儀式。
ベッドのまわりはきれいに花で飾られています。二人は、介添え人、両親とともに、ベッドルームに入ります。ベッドの上には、あらかじめ、大きなハート型に、バラの花びらと、小銭が並べられています。
 ベッドにあがった二人は介添え人の、掛け声を合図に、小銭集め競争をします。新婦は、新郎よりもたくさん集めなければ、所帯持ちの悪い奥さんになると言われ必死です。

 そのあと、ゆで卵を、それぞれの口に入れて食べさせあい、「アツアツ儀式」です。ベッドに横にさせられ、無理やり「キッス」をさせられます。
これで「床入り儀式」も終了です。

 新郎新婦は、休むまもなく、会場に戻り、参列者のテーブルを廻って、心ばかりのプレゼントを配り、お礼を言って歩きます。
この頃には、もう会場は無礼講で大騒ぎです。何キロ先までも届くような大音響で、お祝いの音楽を流しています。やがて、カラオケもはじまり、夜遅くまで大騒ぎが続きます。

さぞや、明日は、二日酔いの人がおおぜいなんて、要らぬ心配をしてしまいます。

 3日目は、新郎新婦も含めて、みんなで片付け作業です。
昼前からはじめ、夕方までかかります。そしてまた、振る舞い酒、振る舞い料理、ランチキ騒ぎです。

 3日がかりの「結婚式」も、こうしてやっと終わりになります。