ドイ・トゥン
霞むドイ・トゥンの山々
「ドイ・トゥン」は県の北部、海抜1500m前後のドイ・ナン・ノーン連峰の一角にある。
ドイ・ナーン・ノン山は、県都から国境の町メサイへ向かう幹線道路を30kmほど北の郡境の峠を越えるとはるか前方に
見えてくる「ご婦人の背姿(ナン・ノーン)」をした山並みである。
北タイの群雄割拠時代に、山城として利用されていたところで、メチャン、チェンセンの平野を見下ろす
格好の場所にあり、「ドイ・トゥン」の名の由来は、昔、この山に軍旗がはためいたことによる。
「ドイ・トゥン」の東側のがけの上には、「釈迦」の鎖骨の一部を祀った、2連の仏塔があり、聖地になっている。
北タイの山々は、ヒマラヤ山系の東端にあたり、ずっと北の雲南省の観光地「桂林」なども、この山系の一部である。
ヒマラヤは、現在も、造山活動を続けているそうで、活断層が入り乱れているこのあたりでは、地震も頻繁に発生している。
この山の西南の一角に、現国王の御生母、故シーナカリン王母陛下の御用邸がある。
周囲一帯は、「王室プロジェクト」によって整備され、御用邸内部も一般公開されていて、タイ全土からの観光客で年中賑っている。
わがメカム町パヤーン村からは、直線距離で5kmほどのところにあり、夜間ドイ・トゥンの山岳民族の集落のあかりがよく見える。
以下、政府官公庁(TAT)発行の観光パンフレットから、「ドイ・トゥン」および「王室プロジェクト」を紹介する。
観光パンフレット(日本語版) 在りし日のご生母 ご生誕記念祭 お花畑 記念庭園
「私は、ドイトゥンを緑あふれる森にします。」
現王室ご一家は、かつてスイスにお住まいになっておられ、ご長男が現王朝8代目(現国王は、ご次男で
9代目)の国王に即位されたあとも、時々スイスに、ご静養に出かけられておられました。
ご生母シーナカリン陛下は、すでにご高齢になられ遠方のスイスの往復も大変になり、国内にご静養の土地を
探すことになり、暑期でも比較的冷涼な「ドイ・トゥン」が選ばれたそうです。
ご生母陛下は、かねてから「森林保護」や「山岳少数民族問題」に、ご関心を持っておられ、ドイ・トゥンに
お住まいになられたのを機会に、生涯のお仕事になされました。
「私は、ドイトゥンを緑あふれる森にします。」とご決意なされて、1995年7月、94歳で天寿を全うされるまで、
「ドイトゥン開発プロジェクト」をご推進なされ、森林再生と山岳民族救済にご尽力なさいました。
かつて、焼き畑や乱伐で荒廃した山々も、現在では、すっかり緑が回復し見違えるようになり、山岳民族の
暮らしも随分と改善されました。
三段階の開発プラン 第1期(88〜92年)の目標 ・ 焼畑とケシ栽培をやめさせること ・ 付近一帯のインフラの整備 ・ 山岳住民の生活の向上、教育の普及 第2期(93〜11年)の目標 ・ 現地に即した職業を奨励し、自然保護を永続させる そのために、競争力のある生産システムを開発し 最低年収を3万バーツにする ・ 住民(山岳民族)の文化を守り、自然を保護しつつ 環境保全観光地(ECO TURISM)に育成する 第3期(12〜26年) ・ 住民たちの完全自立をはかる |
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(コメント) 2003年末現在、焼畑禁止によって農地が減少したものの、農業以外の就業機会も増加して目標の大半は、すでに達成されている。
電気、簡易水道も整備され、各集落への、幹線道路からのアクセス・ルートも拡幅舗装された。
付近一帯の山岳民族居住地は、メチャン郡から「メーファールアン郡」として分離され、完全自立の目標に向かって、着々と歩を進めている。
住民たちは、教育機会にも恵まれ、現在では、高等教育を受けるものも多く、医師などとしてタイ社会の中で、活躍しているものも多い。
王母陛下のプロジェクトの成果には、目覚しいものがあり、ご逝去あそばされたのちも、「メーファールアン(大いなる慈母)」、
「ソムデット・ヤー(おばあちゃん陛下)」として、神様のように崇拝され、生誕記念日(10月21日)には、盛大な記念行事が催されている。
プラタムナック(御用邸)
夜の御用邸玄関 大広間 前庭
・「ドイトゥン開発プロジェクト」がなかったなら、ここに住まいは作らなかったでしょうと
王母陛下が、おっしゃられていたそうですが、ここは、陛下のお住まいの場所であるばかりではなく、お仕事の場であり
また、プロジェクトの重要なシンボルとしての役割を、はたしております。
ランナー・タイ様式に、スイスの田舎風の様式をとりいれ、シンプルで使い安いように設計されたログハウス建築です。
建築資材の大半は、輸入商品の梱包用の廃材を利用して建てられているそうです。
内部は、簡素な中にも、いろいろと工夫がされており、大広間の天井の星座,階段の手すりの透かし彫り、踊り場などに
浮き彫りされたタイ文字などなど、一部には装飾の彫刻などもほどこされています。
大広間に続く西側の部屋が、御生母陛下の執務室になっており、本棚、執務机など、当時のままに保存されており
ご生前の質素謹厳なご生活のご様子がしのばれます。
御用邸は、きれいに整備された花壇に囲まれていて、ランなどの草花だけでなく、タイでは珍しいダリア、百日草などのほか
椿、菊、つつじなども植えられています。温帯地方からやってきた観光客には、ほっとふるさとを思い出させるところです。
王室の方がご滞在中の時を除いて、御用邸の中も見学することが出来ますが、服装等は厳しくチェックされ
ショート・パンツ等の軽装では中に入ることは出来ません。
そのほかの施設
・御王母陛下記念館
ゆかりの品々やご活躍のご様子が、3D映像などを使って展示されています。
また、ご葬儀の様子なども展示されております。
建物は、コンクリート造りですが、エスカレーターなど、バリアフリーに設計された斬新な建物です。
・メーファールアン ガーデン
御用邸の北側のベランダから見下ろせるところに、広さ約4万uの記念庭園があります。
「持続(クァームトーヌアン)」と名づけられた子供たちの群像のまわりは、手入れのいきとどいた花壇になっており、
温帯地方の植物も植えられています。
・メーファールアン(ドイ・チャーン・ムヴ)植物公園
御用邸から、車で10分ほど北へ行ったミャンマーとの国境の近くに、
象の姿の岩のある「ドイ・チャーン・ムヴ」と呼ばれていた聖地があります。このあたりは、以前は、一面のケシ畑でしたが
ここに在来植物を中心にした植物園が作られました。公園の中には、広場、遊歩道のほか、サラー(休憩用のあづまや)
バルコニーなどが点在しゆっくりとピクニックが楽しめるようになっています。また、バルコニーからは、遠く、
メコン川の流れや、ミャンマー、ラオスの山々が眺められます。
・ドイトゥン動物園
植物公園への途中の左手に、乱開発で絶滅しかかっている在来の野生動物を、保護育成することを目的に動物園が
作られました。熊、鹿、、野鶏など、自然の姿で、育てられています。
・ドイトゥンの仏塔
御用邸から、10kmほど北東へいった、ドイナンノーン連峰の東のはずれに仏舎利(お釈迦様の鎖骨)を祀った
と伝えられる2基のチェディ(仏塔)があります。地元の人々は、北タイ暦の8月の満月の日(4月ころ)、
早朝に供養のお祀りをするために、車でいけるようになった今でも、昔の名残で前日から山頂に泊り込みます。
暖地のチェンライといえども、夜はかなり冷え込み、あちこちで酒宴が開かれ、土地の若者にとっては、待ち遠しい
行事となります。
・パーミー職業訓練センター
植物公園からさらに北へ行った、メサイにほど近いドイパーミーに、麻薬中毒患者の社会復帰のために、
職業訓練センターが作られました。長年にわたって、ケシ栽培をしてきたこのあたりの山岳民族のなかには、
中毒患者も多く、その社会復帰を援助しております。その成果も着々と現れて、現在では、このあたりから
つた細工製品や、冷涼地野菜などが特産品として出荷されるようになりました。
・工芸品生産センター
ドイトゥンの登り口の手前の旧道を、1kmほど戻ったところに、センターへの入り口があります。
セラミック工場、コーヒー工場などがあり、申し込めば購入することも出来ます。
「マカデミア・ナッツ」の工場は、山上の御用邸の裏手にあります。
山岳(少数)民族
このあたりの山岳民族のほとんどが、第二次世界大戦後に、ミャンマー、大陸中国、ラオス等から移住してきた
人たちです。仏印戦争、ベトナム戦争の難民なども、身寄りを頼って移住してきたようです。ドイトゥン開発プロジェクト
の中だけで、26集落があり、アカ族(イコー)、ラフ族(ムスー)、リス族(リソー)、シャン族(タイヤイ)などのほか、
かわったところでは、中央アジア系の中国人回族(チンホー)や中国内戦の生き残り残留者である国民党軍
(コクミンタン)などがいます。現在でも、民族紛争の続くミャンマーから難民が、流入してきているようです。
ドイトゥン開発プロジェクトの産物
農産物
農業支援センターの指導の下に、コーヒー豆、マカデミア・ナッツ、お茶、キノコ、冷涼地野菜、切り花、鉢植えの草花など
が、出荷されています。草花の栽培には、バイオテクノロジーなど最新の技術が導入され、国際的商品価値のある産物が
出荷されています。
クラフト製品
機織じゅうたん、手織りの布地、和紙、焙煎コーヒー豆、マカダミア・ナッツなど、ドイトゥン・ブランドで
タイ国内ばかりか、世界に向けて出荷されております。