バイラーン 
(紙以前の筆記用具)


 北タイで筆記用具として、現在使われているような普通の「紙」が使われるようになったのは、半世紀ほど前のことらしいです。
 それ以前の紙は、クワの木の一種から作られた粗製の和紙 ( 「コーイ」とか「パップ・サー」とよばれる ) のような紙が使われていたようです。蛇腹式に綴じたノートのような古文書が博物館などに残されているようです。 その「コーイ」とか「パップ・サー」よりも、はるか昔から使われていたのが、「扇椰子」の葉を利用した「バイラーン」だったようです。

 一般の庶民は、読み書きができなかったわけで、筆記用具を利用するのは、現役の僧侶か、僧籍を経験した人などの、ごく限られた人たちだけだったようです。

 「バイ・ラーン」の書き物で、もっとも多く残っているのが、庶民の出生を記録した「出生記録」です。庶民とかかわりを持つ唯一の「文字」は、この「出生記録(バイ・クート)」だけだったのではないかと思われます。
上の写真は、巾約3cm、長さ60cmほどの、「バイ・ラーン」の「出生記録」です。この出生記録は、戸籍謄本の役割も果たしていたようです。

 「バイラーン」は、「トン・ターン」と呼ばれる「オウギヤシ(学名:Corypha utan)」の葉から作られます。かつては、たいていのお寺に、写経用や出生記録用に植えられていたものらしいですが、「紙」が使われるようになって、その多くは切り倒されてしまったようです。なにしろ、高さ20m以上にもなる大きな木で、「バイラーン」に利用する以外には、あまり使いみちはなかった木のようです。

 

 「バイラーン」に文字を書くには、先のとがった専用の「竹ペン」が使われたようです。
下の写真は、「ランナー文字」で書かれた、巻紙風の「出生記録」を開いたところです。


 「紙」が使われるようになっても、「出生記録」が、「バイ・ラーン」スタイルで、書かれていた時代もありました。この紙は「コーイ」の一種かと思われます。文字は「鉛筆」で書かれているようです。


 「バイラーン」は、インド由来のもので、古い時代の日本にも伝わっており、「貝多羅葉(ばいたらよう)」と呼ばれています。下の写真のように、たくさんの「バイラーン」を紐で綴じた写経などが、博物館にでも行けば、見ることが出来ると思います。
 タイでも、王室の「重要文書」や「写経」などには、「漆(うるし)」、「金泥(きんでい)」で装丁された、豪華な「バイラーン」が残されているようです。


  「バイラーン」としては使われなくなった「オウギヤシ」の葉ですが、タイの「1村1品運動(OTOP)」の産品として、「すげ笠」などに加工して、生き延びているようです。



 (訂正
「バイラーン」が、筆記用具として使われていた時代にも、「紙」があったことがわかりました。
いつごろから使用されていたのかは不明ですが、「コーイ」とか「パップ・サー」と呼ばれているものに記録された、古文書が残されているようです。「コーイ」といのは、「クワ科」の植物の一種で、その樹皮から作った紙のノートを「サムット・コーイ」というそうです。また、「和紙様の紙を折り畳んだもの」という意味で「パップ・サー」とも呼んでいたようです。
 以上のことが判明したために、本稿の冒頭の部分など、一部をを書き変えました。(2004-04-19)


 (余談
「バイラーン」に記録されている文字を見ていて、気がついたことですが、「字形」というのは、どんな素材に書かれたのかに、かなり依存しているように思えます。素材によって、どんな字形が書き易いかは、かなり異なるようです。
 「ランナー文字」、「タイ文字」などは、インドの古文字の系統の文字ですが、この「丸まった」字形は、「椰子の葉」に記入するのに向いているようです。直線部分が多いと、椰子の葉は、破れてしまいそうです。インドでは、何千年も前から、「バイラーン」が使われていたそうですが、「円弧」の部分の多い字型になっているようです。
 「漢字」の始まりの「亀甲」に書かれた「象形文字」は、やはりそれらしい形をしていると思えてきます。その後、木板に筆、墨で書くようになって、現在使われている字形が出来上がったように思えます。
 アルファベットなどの「英字」は、メソポタミヤの「楔形文字」から派生して出来た文字だそうですが、「楔形文字」は「粘土板」に書くのにむいている字形だと思えます。
 古代から「パピルス紙」を使用していた「エジプト」の象形文字は、書くのが容易だったと見えて、自由闊達で複雑に見えます。「アラビヤ」系の文字なども、文字が考案された当時から「紙(パピルス紙か羊皮紙)」が使われていたにちがいないように思えます。
 ひとりよがりではありますが、何か「新発見」をしたような気になったりしております。